工藝の森の背景

樽がたくさんある漆屋の工房

それぞれの背景

『工藝の森』を運営する一般社団法人パースペクティブの代表のひとり、堤 卓也は、明治期から続く漆の精製業者の4代目です。漆の精製業者とは、木の樹液である漆を育て、掻き集める漆掻き(うるしかき)職人と呼ばれる職人たちと、漆のお椀や仏壇などの漆製品を塗る、塗師(ぬし・ぬりし)と呼ばれる職人たちの間で、漆の樹液を濾し、塗師によって個々に求められる漆の質(粘度、艶、固着の速さなど)をコントロールする、素材としての漆のスペシャリストです。

堤朝吉漆店で堤卓也が漆精製をしている

パースペクティブのもうひとりの代表、松山幸子は、工藝の伝え手でした。日本の工藝は、モノが生み出された地方の気候風土や文化を反映し、日本人の精神性によって磨かれ、時を超えて社会に受け継がれてきたさまを学び、国内外に発信してきました。その仕事の中で漆はごく一部でしたが、象徴的な存在でした。

ふたりはそれぞれの視点から、漆や工藝の現状をみつめ、社会を取り巻く様々な問題と、重ね合わせていました。

漆と工藝の現在地

漆は、10年〜15年かけて育ててあげれば持続可能な自然素材で、この日本では身近な有用植物として10,000年以上前から、人の暮らしに近いところに植えられ、防水・防錆・接着のために利用されてきました。

40年前、日本では500トンの漆が流通していました。2018年、漆の流通量は36トンにまで低下しました。この右肩下がりの傾向は、漆に限らず、伝統工芸のほとんどの分野で共通しているといってもいいでしょう。

この現状の背景には、モノが、より多く、より早く、生み出されるようになったこと、そのような工業や都市集中型の経済には、自然と人によってじっくりと時間をかけるモノづくりは、物差しに合わないものになってしまったことが、挙げられます。

職人が漆の木の樹液を収集している
切り傷入りの漆の木

工藝のいまが映し出す社会のこと

工藝を衰退に追いやろうとする工業型・都市型経済が影響をあたえているものは、社会に他にもあり、私たちはそれらも、根幹を同じくする現代社会の問題だと考え、心を痛めています。

ひとつは、自然環境。均一なモノをより多く、より速く生み出すことが価値とされる近代において、私たち人類の生産活動は、地球のメタボリズム(代謝)のキャパシティを超え、自然環境の持続可能性を脅かしています。このような産業のあり方は、大量の二酸化炭素と、大量のゴミを生み出します。結果として、私たちは異常気象のニュースを毎年聞き、海にプラスチックの映像を目にします。

ゴミが散らかってある海辺

もうひとつは、社会環境。農作物や建築物などあらゆる衣食住の材料、そしてエネルギーまで、都市の暮らしは地方に依存しています。それなのに、より多く、より効率的な暮らしが良しとされ、人々は都市に集中するようになりました。地方では高齢化、人口減少とともに衰退し、地域とともにある人々は希望を求めています。

そして最後に、モノに溢れた現代社会をとりまく環境に対しての、私たちの内なる問題。何でも簡単に、便利に、クリックひとつでモノや情報が手に入る時代なのに、私たちは、実はちっとも豊かさを享受できていないと気づき始めています。それとともに、自然素材がもつ「ゆらぎ」や、人がモノをつくる上での労働や叡智を、想像できなくなっているように思います。

漆が、ひいては工藝が置かれている状況は、これらの現代社会が抱える問題を、反映しているのに過ぎないと、私たちは考えます。

工藝(漆)を手段とする社会へのアプローチ

工藝が現代社会を反映しているような存在なのであれば、逆に工藝を通して社会にアプローチすることもできるのではないか-私たちはそのように考え、チームとして活動を始めました。

生活をとりまくプラスチックや他の石油由来の物を、ひとつでいいから、漆などの自然素材に置き換えれば、それは地球の持続可能性に役立つ選択となります。

工藝素材を育て、そしてその素材でモノをつくるという循環が、地方の暮らしの一助となれば、自然豊かな地方での生き方・働き方に、一つの選択肢をもたらすことができるかもしれません。

自然のゆらぎに呼応することのできる感覚値や身体性は、自然素材のモノづくりに求められる資質ですが、その資質は人と自然との間に調和を育み、人と人との間での調和のためにも、重要なヒントになるはずだと、私たちは考えるのです。